血刀濯ぎの池

 懸案だった桶狭間を片付けることにした。

 名古屋で名鉄に乗り換え、中京競馬場前駅で下車。

 南西方向へ向かい、地蔵池、大池を過ぎたところに、戦評の松というのがある。

 合戦の際、今川方の瀬名氏俊が、ここにあった松の下に諸将を集め、戦いの評議をした場所なのだという。そんな場所まで名所になっているとは、さすが桶狭間だぜ。

 桶狭間神明社を経て、長福寺の前まで来ると、鞍流瀬川・浄土橋の石柱があった。説明によると、「合戦により人馬の血と雷雨でこの下の小川が真赤に染まり馬の鞍鎧などが流れその戦いの激しさは言を脱する。人はこの川を鞍流瀬川と呼ぶ。哀れな戦死者を寺の阿弥陀如来に託す為ここに浄土橋をかけ極楽往生を願った。この地も開発により川を埋め橋を失う。ここに記念碑を建て当時を偲ぶ」という。

 おお、そんなにすごかったのか。

 長福寺は、善空南立上人が開いた寺で、今川勢が当地に着いたとき、酒食でねぎらったという。

 しかし、それがあだになり、合戦後にここは首検証の場とされてしまう。

 杉の大木の下で、今川方の茶坊主・林阿弥が首実検をさせられたという。

 また、血刀濯ぎの池と呼ばれるものもあり、すさまじい。

 今川義元と家老・松井宗信の木像と、合戦記が伝わっている。

 本尊の阿弥陀像は、林阿弥が供養のために奉納したものとか。

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